ブログと昔話
20年前から文章を書いている
私は、昔から妙な執念を持って文章を書いてきた。記憶を辿ると、中学校の備品のパソコンに Microsoft Word でふざけた文章を書いていたのが、一番古い記憶だ。ギャグ漫画を文字にしたような、恐ろしい文章だった。それから Yahoo ジオシティーズなんていうホームページサービスを使い始めて、恥ずかしい文章とか詩をメモ帳で書いてネットに載せていた。
せこい詩の書き方
当時の私は、とにかく物事を抽象化して薄めることで、ミステリアスに見せるというせこい手法で詩を書いていた。例えば鉛筆をテーマにしたら以下のようになる。
書き続ける 終わりなく
身を粉にしながら
汗が黒く滲む
自己が消えてゆく
そうして鉛筆というテーマを取り除いて「作家」のようなタイトルをつければ、もう一作出来上がりだ。意味深に見えて、底が浅いのでお勧めはしない。ただ、中学校の課題なんかで、どうしても詩を書く必要がある時には使ってみると楽できるだろう。
色々なブログをやってた
カッコつけるだけの詩を書くのが恥ずかしくなった頃、ブログ文化が始まった。私も日記をつけるようになった。最初は純粋な、どうでもいい日記だった。だいたい日常のことだ。多くのことは愚痴に由来している。だが、愚痴を聞きたがる人などいない。文章をコンテンツ化するべきだと考えるようになった。日々の出来事を、もう少し一般化したり、似た問題にすり替えたりして、エッセイにでっちあげた。これは詩の書き方にも通じているかもしれない。機嫌が良い時は、空想を広げて短い物語にしてみたりもした。
プラットフォームはあちこちと移り変わった。goo blogとか、はてなブログとか、noteとか。一番新しいものだとしずかなインターネットも触っている。適当なサービスを知るたびに新しいブログを開設して、文章を残してきた。
ちなみに、ブログとは違うけれど、本業のプログラミングに関わる文章も少しはQiitaやZennに書いた。仕事上のドキュメントはもっとたくさん書いた。
日記帳
今ではよそ行きのブログを書くのはやめてしまって、ごくプライベートな日記帳を開くばかりだ。本当にどうでもいいこと、辛いけれど言うべきでないこと、自分を鼓舞するための幸せ自慢、気取った詩にもならない感情の断片などが書き記されている。
それらは、どこへも行かず、私だけに閲覧可能なクラウドストレージに眠っている。こうしたページが作る年輪を、ときどき愛でたくなることがある。自慢したくなることがある。もしかしてこれが、自己実現の欲求というものだろうか。
一つにまとめる
私は色々なプラットフォームで文章を書いてきた。どのプラットフォームの記事も、うまくデータを引き継ぐことができなくて、それがめちゃくちゃに散らばっている。これでは、過去を振り返ることは難しい。私を繋ぐ何かを私自身が持っていたい。私にとって思い出深いものは、ショーケースに入れて飾っておきたい。
だから、ブログサイトを作り直すことにした。これまでに趣味で作っていたブログサイトは必要のない技術でごちゃごちゃと遊んでしまったので、今回は実利だけを求めていきたい。自分でデザインなんかしないし、カスタマイズもしない。テンプレートだけでいい。とりあえずは Hugo を使ってみることにしよう。まだ過去の記事は移行できていないが、ゆっくりと移動させていくつもりだ。