全裸疾走
たまに、全裸で街を全力疾走してみたいという衝動を感じる。
服装も、下着も、法の制約も、今後の進退も、なんら省みることなく家を飛び出す。 羞恥心、恐怖をブレンドした感情を振り切って、手足を振り動かす。 速くはない。肉も弛んでいる。多くの嘲笑を向けられ、不名誉な動画がネット上にアップロードされる。 息切れして、うるさいほど心臓は脈打って、数キロ走っただけで膝をついて崩れ落ちる。 やがてパトカーが集まり、警官に制圧される。あまりにも愚かで無益で見苦しい。
でもそれが「私」であることに強い意味がある。
思えば毎日毎日、プログラムを書いている。 仕事が終わったら、腰を痛めないためのストレッチ。グローバル化に備えた英語学習。 予定があって、義務があって、努力して、成果をみて、失敗して、反省して。健やかな生活。 繰り返しはあまりにも自然に行われて、昨日がどういう日だったかもわからない。
なんだそれは。そういうのじゃねえだろ。
心がささやく。なにか大きなものの一部に、溶けてどうする。 いつまでもマイノリティで、社会の片隅で怒ったり泣いたりして、 それでも目を向けられないから行き場のない感情で身を焦がして、 フラストレーションの渦に落ちていく。 そういう、しょうもない私はどこへいった。
ちゃんと生きているよと証明できる手っ取り早い方法が全裸疾走だ。 社会から逸脱した振る舞いをすることで、自我を証明する。 繰り返し動く冷たい機械ではないのだと安心できる。
そういうあり方。 善良なモブであろうとするよりも、最大瞬間風速を求めていくようなあり方。 そういうところを目指していきたい。心はいつも自由主義。常識の反逆者。
近頃曖昧になっていく自分を振り返って、そんなふうに思った。