箸置きを見るたびに
ちょっと値段の高い和食店に行くと、箸置きがちょこんと並べてあることが多い。
どれも右利きが取りやすい向きに置かれているので、左利きである自分には使いにくい。これはちょっとした差別ではないだろうか。少数派はいつも無視される。そんなことを思いながら箸を逆さに向けていた。
けれどあるとき、 秩序だって右にならえをしている箸が尊いものに見えてしまった。そのかたちを乱す自分が、卑しい悪人に思えたのだ。それからは、はじめからそうしている形に従うことにした。食事を終えて席を立つ時、その正しさに満足する。こうしたい、ああしたいを律して、秩序を愛おしむ。一種の自己犠牲。それが社会性なのかもしれない。
結果だけを見ると、つまらない。小さな反逆が消えた。習慣に飲み込まれた。ただ雨にうたれる弱い人に見えるだろうか。思うところはどこへも行かないから、それでよいと思う。かようにして老いていく。