水を差す男
実家に帰って母と話をした。彼女ができたと報告したら喜んでいた。しかし、彼女に父の秘密を漏らしたと知ると母は眉を曇らせた。
「あんたは、言わなくていいことを言いすぎる」
思いのほか強い語調だったので、私は驚いた。「事実だし、隠すことでもないし、おもしろいと思ったから」と冗談めかして返事をした。しかし、母は納得のいかない様子で苦笑した。
「あなたにとってはそうでしょうよ。でも父にとっては古傷よ。そんな話を聞いたらきっと傷つくでしょうよ」
「あんたみたいに、皆あけすけに話す人ばかりじゃないのよ。過去の失敗について、言わなくていいことは伏せなさい」
そこまで言われて、私は自分の落ち度に気がついた。理由なき振る舞いではなかったけれど、軽薄がすぎた。
父は、血の繋がった存在だから何を話したって許される。そんな風に軽んじてしまった。
おそらく愛情によって父は許す。口を噤む。私の振る舞いを咎めもしない。けれど、傷は負うのだろう。墨を落としたような気持ちで聞き流すのだろう。
そういえば私は空気の読めない男だったと思い出す。みんなで頑張ろうという時に「なんで?」と冷たい言葉を投げて水を差す。当然のように否定するから、なおのこと怒らせる。傷つける。
ついこの前書いた記事もそうだ。友達とは分かり合えないという主張をした。それは婉曲的には「友人面をして私のことをわかっちゃいない奴らばかりだ」という身勝手な感情の裏返しだ。客観の皮を被った愚痴にすぎない。
そういう悪意を目の当たりにした友人は傷つくだろう。友達をわかってあげられなかった。知らず知らず傷つけてしまった。実は嫌われていたのか。そういう疑心暗鬼に囚われる。
事実だから思うままに書くし、陰のかかった部分を明らかにすることに価値があるのだ。そういう傲慢に支配されていた。
言わなくていいことを言った。そして書いた。二つの方法で、いろいろな人を傷つけた。こんな振る舞いは、もうやめたほうがいいだろうが、心が抑圧されることを好まない。
だからせめて善意の声を聞き、希望のありかを見つけなくては。水を差すなら、何かが芽吹くように。