友達とは分かり合えない
しばらく忘れていた孤独感を思い出した。友達が自分と別な生き物だと知る時、そうなる。
どんな友達も、彼らは自分で、大なり小なりの世界を切り開いていく。新しい趣味を見つけたり、交友関係を広げたり、旅行やイベントに出かけたりする。それらは世間話の一つとして単に消化されるのだが、しばしば毒となることもある。
すなわち、友人が自分にない楽しみを持っていることへの嫉妬。自分がその力と勇気を持たないことへの失望。じゃあ俺も新しい世界を切り開こう、とはならない。分かり合えていると思っていた友人と自分との交わらない部分を見つけて、ああ一人なのだと思い知る。そういう孤独感だ。
趣味の話なんかをして、一緒に遊んだりして、個人的な話までして、深く分かり合えたと思っても、いずれ噛み合わない失望を体験する。裏切られたような気になる。たぶん人はみな違った価値観を持っているから、いずれそうなるのだろうが、傷ついているときにはそういう客観性を失っているので、ただ落胆する。しかも、勝手に傷ついているだけなので、誰も責められない。
だから大概、口数を減らして消えていく。一人でいるために。どうせ誰とも価値観が合うことはないなら、一人でいい。でも八割がた、拗ねているだけだから、なるべく素振りは見せられない。なんでもないふりをする。普通であるように努める。そういう下手な演技は見抜かれているだろう。見苦しいことだ。