呪い完全マニュアルを読んだ
なにか創作の役に立たないかなと思って「呪い(まじない)完全マニュアル」というのを読んだ。仙岳坊那沙という七十歳くらいの行者が書いたもの。以下はその時書いたメモ。
呪い=まじない=神仏への祈り。いかなる呪いにも歴史がある。宗教やその分派によって呪いは異なる。また、互いに交わりながら変化してきたものである。したがって正統なる呪いなどというものは存在せず、信ずるに値しない呪いもまた存在しない。
同じ能力を持った人物AとBが存在すると仮定しよう。ふたりは等しく努力したにもかかわらず、Aは成功し、Bは失敗した。Aは華々しい人生を、Bは暗くよどんだ人生を送った。彼らの違いは念力である。Aは自らの能力を高め成功してやろうという強い思念があった。すなわち強い念力があった。念力は日常生活の中で無意識に放っているものだ。たとえば視線にそれは宿る。
念力は修練によって強化することもできる。たとえば、日常的に言葉を用いずに誰かが振り向くように念じ続けることも、ひとつの修練方法である。清水を汲み、墨を磨り、筆をとって写経するのも修練である。手間を省いて筆ペンを用いるのは、その行いに対する念が弱くなるため、修練としてはふさわしくない。お経は様々なものがあるが、一般的には玄奘が訳した般若心経を書くのがよい。それでうまくいかない場合は滝行や断食という手段もある。
特別な訓練を経ることなく念力を高める人もいる。そのような人は、ただ一つの強い願望を持っていて、その一念を貫く。甘い誘惑に負ける事なく、また他の願望にとらわれることなく、ただ一つのことを願い続ける。願いが叶った光景を思い描き原動力にし続ければ、あるいは念力は高められるかもしれない。
念力をさらに高めるのが呪符である。呪符は念力を高め神仏に近づくための道具として生まれた。過去に修行を経て編み出されたもので、それを真似して作るだけでも十分意味がある。現代では解読不能なものもあるが、それは神仏の言葉に近いことの証左かもしれない。神仏を認められないならば、それを良心と言い換えても良い。真なる良心に近づくためのものが呪符である。
呪符を作るには、まず体を清める。入浴し、歯を磨き、爪を切る。白く清潔な服に着替える。九字を切る。(北向きに息を吐いて、東向きに息を吸う。これを三度くり返す。さらに三十六回歯を鳴らし、印を結ぶ)これは中国の普の時代から伝わる魔除け。九つの手の結び方はそれぞれ金剛針、大金剛針、外獅子、内獅子、外縛、内縛、智拳、日輪、宝瓶(ほうびょう)という。印の終わりには両手の人差し指を立て、それを片手重ねて握る刀印を結ぶ。印が終わったら、手本にしたがって呪符を書く。字の巧拙は気にせず、念を込めて書く。書き損じは焼き捨てる。呪符が出来上がったら呪文を唱える。
呪文は神仏との意思伝達の言葉である。たとえば密教の呪文である真言陀羅尼は「オン」または「ナウマク」という言葉から始まる。これは「帰依する」「帰命する」つまり神仏と一つになることを指している。これもまた良心と置き換えるなら、より良き人になりたいという願いを言葉にすることが呪文である。呪文が終わったら、最後に九字の印を解除する呪文を唱える。
無病を祈る呪文(一部改変):
殊に虚空よ消滅したまえ。いわゆる然り。照らしたまえ。照燿したまえ。速やかに広く照らしたまえ。速やかに発起したまえ。速やかに出現したまえ。極光明なる七星、九曜、十二宮、二十八宿よ。息災吉祥、成就あれ。
七星は北斗七星のことを指す。九曜は九光輝ともいい、太陽(日精)、太陰(月精)、螢惑(火精)、辰星(水精)、歳星(木精)、太白(金精)、鎮星(土精)に加えて、羅睺と計都といわれる彗星の二つを合わせたもの。インドの占星術で使われる。
お祓いの呪文(一部改変):
一切の真如(しんにょ)の世界より来たる。すなわち無上の供養は平等に周遍してやむことなし。不空なる大日如来の大印は宝蓮華の光明を具し、亡者を転迷開悟させ金剛不壊(こんごうふえ)の義を証得せしむ。このまじないには、神々の讃歌みたいなところがあるらしい。
ぎっくり腰に対する呪文(一部改変):
呪いに曰く。大鬼よ。水鬼よ。愚かなる鬼よ。叛鬼よ。瞋鬼よ。光鬼よ。花鬼よ。白鬼よ。極白鬼よ。鬼の母よ。白衣女よ。億鬼よ。最億鬼よ。餓鬼よ。一切の畏怖なからしめよ。一切の法に随順せよ。解脱せよ。恐惶せよ。
その他様々のバリエーションが紹介されている。白紙を使って病魔を吸い取るもの。憎い相手の写真に尿をかけ、針を指し、引き裂いたり、踏んだりするもの。またそれを逆襲するもの。病人の治癒を願って、患部に呪符を押し付けるもの。古事記に書かれた神話をふまえて、虐めを跳ね返す呪い。禁酒・禁煙を実現するための呪い。はては精力増強、増毛のための呪いまであった。
一番恐ろしいと感じたのは、犬神をつくるための呪い。犬を土の中に埋めて、眼前に食料を見せる。しかしそれは届かない距離に置く。そうして十分に飢えさせたあと、肉の塊を見せる。犬がかぶりついた瞬間に首を切り落とす。そうして殺害した犬の頭蓋骨を祀ると、犬神が生まれる。犬神は幸運をもたらすだけでなく、気に入らない人物を不幸にしたりするらしい。ごく限られた家ではあるが、そのような呪いをしていた可能性は否定できないらしい。