サダジョー
柔らかな毛布に包まれて体を横たえていると、岩間からあふれる水のような、ささやかな幸福が染み出してくる。カーテンの隙間からこぼれる光がまぶしいけれど「起きなきゃ」を頭の中に浮かべないでいる方がいい。あとは野鳥の鳴き声でも聞こえればなおいい。
寝返りを打った。散らかった大型ダンボールと梱包材。視界の隅に、起きたくない理由の一つが転がっている。
それは、死体のようにうずくまった等身大の人形だった。がっしりした体つきの男性をやたらと忠実に再現している。何というか、ミケランジェロのダビデ像みたいな謙虚さがない。露骨に男性器を屹立させている。
こんな代物をどこかに注文した覚えもないし、送りつけてくる知人や親戚に心当たりはなかった。それ以上考える気にもならない。
チャイムが鳴った。運送会社が戻ってきたのだろうか。考えているうちに二度目のチャイム。さらに続く連打。こういう大人気ないことをするのは、妹だけだ。うんざりしながらインターホンのボタンを押した。ショートヘアの見慣れた顔が、夢中でパネルを連打している。やめろとだけ言って、ロックを解除した。
お邪魔しますとは言いながらも、妹は遠慮なしにずんずん部屋に入ってきた。当然、露骨なダビデ像と対面する。「あれ、これサダジョーじゃん!」妹は私の知らない名を呼んだ。好奇心が爆発したらしい。妹は大笑いしながら、微動だにしないサダジョーの股間をデコピンで弾いていた。
お茶を淹れて落ち着いてから、サダジョーについて尋ねた。妹が言うには、サダジョーとは、俳優の定丈治のことらしい。最近は色々な映画の主役として抜擢されているのだそうだ。「とにかく顔がいい」と言って写真のいくつかを見せられた。確かにあの露骨なダビデ像と似ているかもしれない。表情に乏しく、少し冷たい感じのする男性だった。
特に興味がなかったので、それきりサダジョーの話はしなかった。少し片付けてから妹と二人で買い物に行って、甘いものを食べて帰宅した。露骨なダビデ像は、今は玄関の壁にもたれさせている。この異様さも、単なる置き物に過ぎないと思えば、さほど問題でもない気がした。
妹が情報源になって、何人かの女の子たちが裸体を見にきた。初めはきちんと応対していたけれど、だんだん面倒になってきて、ドアの外に運び出してしまった。それから「好きにしてください」という付箋をつけておいた。
近所迷惑かもしれないけれど、私にとってもなかなか扱いに困る品物だったので、世間の手に委ねるのが正しいような気がした。いたずらされても、盗まれても構わないし、むしろ誰か持っていってくれという願いもあった。
しかしサダジョー風の裸体像は思いの外人々に愛された。風雨にさらされて、思いがけない妙な貫禄が出てきた。笑えることに、股間だけはみんなが触っていくのですり減って色が変わっている。私は毎日通勤のたびにそれを見ていた。
ある時、事件は起こった。裸体像の股間が切り取られていたのだ。なにか痛ましい事件のような気がしたけれど、それもやむなしと思えた。もともと、どうでもよかったのだと気がついた。けれど、それをよしとしない人々が、代わりの股間を発注して、改造してしまった。
なぜかそれからサダジョー風の裸体像はエンペラーと呼ばれるようになった。妹が言うには、サダジョーの主演映画でミリオンヒットした作品に由来するそうだ。エンペラーになった裸体像はいつのまにかマントがつけられたり、勲章が与えられたりしていた。私はそれを見ていた。
エンペラーはやがて商売人たちの目に止まり、保護され、さらに信仰を集めるようになった。定丈治とのツーショット写真がインスタにアップロードされてから、さらに爆発的な人気を得るようになった。そしてそれを煙たがる人もいた。何故だか私はその標的になり、引っ越しせざるを得ない憂き目にあった。
私がエンペラーから離れてから、数年の月日が流れた。いま、エンペラーは市の所有物になっている。私の生活費の何倍も公費をかけて、二百メートルを越える彫像になっているそうだ。
私は今になって 「あのダビデ像の頃に蹴飛ばしたりしておけばよかったな」なんてことを冗談まじりに妹と話すことがある。妹はその度「私はやりきったからね」と自慢げに笑うのだった。